何となく前から書いてみたいなぁ、という気持ちはあったものの、特にきっかけがあるわけでもなくそのままになっていた俳句と短歌。それを最近になってちょこちょこと書き始めた。
50歳を過ぎたあたりからだろうか。なぜなのかはよく分からないけれど、大和言葉の響きや昔からある日本語の言い回しに、以前よりもグッとくるようになった。
「いずこ」「うつろう」「名残」「おぼろ」「慕わしき」などなど。
若い頃だったらたぶん何とも思わなかったような言葉が、近頃は妙に心にしみる。
美しいなぁと思うのと同時に、何となく懐かしいような、郷愁のようなものまで感じるようになった。
歳を重ねたから?
長いこと日本の外で暮らしているから?
そのへんはよく分からない。
でも、自分はやはり大和民族なんだなあ、とは思う。
ただ、だからといって普段書いている文章まで急に、
「われは今日、海辺を歩みたり」
みたいになってしまうのも、それはちょっと違う(笑)。
普段の言葉はやっぱり普段の言葉でいい。
では、この最近やたらと惹かれるようになった日本語をどこで使おう?
……と考えていたところ、
「あ、俳句と短歌があるじゃないか」
と思いついた。
それなら普段の文章とは別の場所で、昔ながらの日本語や大和言葉を好きなだけ味わえる。
これが実際にやってみるとなかなか面白い。
例えば旅先で何かを見たり、何かが起きたりした時、今までは写真を撮るか現代的な文章にしていた。それが最近は、
「これは五・七・五にできないかな?」
と考えるようになった。
旅行中、知らない辛い食べ物を食べた。
目のまわり 汗にじみいで 驚きぬ
未知の香辛 からだ語れり
旅行から帰って久しぶりに猫に会った。
飼い猫と ふたたび会いて 日常へ
レユニオン島での生活も三年目になり、日本とは違う南半球の季節や学校の暦などが、いつの間にか自分の中で普通になりつつある。
島の暦 身になじみゆく 三年目
異なる巡り 日々となりたり
こんな感じ。
上手いか下手かはさておき、これまでなら何気なく通り過ぎていたような出来事でも、五・七・五や五・七・五・七・七にしようとすると、一度立ち止まって考えるようになる。
どの言葉を残すか。
どの言葉を捨てるか。
同じ意味でも、どの日本語がいちばんしっくりくるか。
例えば「地域性」と書くのか「土地柄」と書くのか。「財産」と書くのか「宝」と書くのか。
たった一語変えただけなのに、そこから受ける感じがかなり違ったりする。
日本語って面白い。
そして、これはやってみて気づいたのだけれど、俳句や短歌は旅との相性もかなり良い。
僕は昔から旅先で、その土地の人や食べ物、景色、文化などを観察するのが好きだった。でも写真では残せないものもある。
匂いだったり、空気だったり、その時ふと思ったことだったり。
そういうものを十七音、三十一音の中に残しておけば、何年か後に読み返した時、その時の景色や空気まで一緒に戻ってくるのかもしれない。
それに旅だけではなく、島での暮らし、家族のこと、猫のこと、昔のこと、祖父のことなど、題材は日常のそこら中に転がっている。
日記にもなるしね。
考えてみれば、これまでこのサイトに文章を書いてきたのも、結局は自分が見たもの、経験したこと、感じたことを残しておきたかったからだ。
そう考えると俳句や短歌もその延長線上というか、それを究極に凝縮させたようなものだ。
せっかく見つけた新しい遊びなので、これからも旅や日々の暮らしの中で思いついた時に詠んでいこうと思う。
何年か続けたら、それはそれで面白い記録になっているかもしれない。
というわけで、五十代になって始まった新たな趣味。
さて、どんな歌がたまっていくかな〜。

2026年8月17日